備忘録【24】:ノームコアの派生系が生まれているらしい・・・ことについて
先日、繊研新聞のウェブ版を見ていたら、こんな記事がありました。
その内容はファッション業界の新潮流として「◯◯コア」というノームコアの派生が生まれている・・・といった記事です。
ノームコアとは「ノーマル」と「ハードコア」が合体した、ハードコアに普通を目指すファッションとの認識ですから(わたしの場合)、「それってノームコアと違くない?」って(とっさに)感じちゃいました。しかし、ご自身の好きなジャンルを普段着にちょっとだけ取り入れるという、日本人らしい奥ゆかしさで、実際は正しきムーヴメントではないか?・・・と、すぐに考えを改めます。
そう思うと、わたしもノームコアに属していると(勝手に)感じているため、「本当はどうなのか?」備忘録も兼ねて整理してみようと思います。
わたしの場合、ファッションの源泉となっているのは二つの柱です。学生(キャンパスライフ)とアメリカにいる一般人、どちらもザックリとした潜在的なイメージですけど・・・
学生ファションが好きなのは、雑誌「メンズクラブ」を読み漁ったことがトリガーとなっています。その雑誌は、当時、姉が手伝いをしていたコピーライターの事務所で、破棄寸前の雑誌を救出し、わたしのために持ってきてくれたからです。
その後、高校が私服の学校でしたので、温めていたキャンパスライフなイメージを実践したり、経済的に出来なかった部分などが、いまだに憧れとして、楽しさとして、いまだにわたしの中に残っているのだと思います。
ただ、学生ファッションはポロシャツだったり、ボタンダウンシャツだったり、スウェットやニット、チノパンやデニムとかなので、まぁ、普通なんですよね。だから、安心できる同じ格好がいっぱい欲しい・・・常々、そんなアイテムを探しています。
そして、もうひとつはアメリカにいる一般人です。これは80年代後半だったでしょうか?雑誌ポパイの、ある号が影響しています。
その特集は、赤いJEEPのラングラーに乗ってる数名の陽キャ学生が、パタゴニアのフリースなどを着て、オークリーのサングラスなどをして、キャッキャしている表紙です。その特集は、今のリアルなアメリカ(特にLAあたりだと思いますが)はこんなだよ!って内容でした。これは衝撃でしたね。
だって、当時のわたしは、放課後にしょっちゅう渋谷や原宿、青山のアメカジショップをフラフラしていて、方向としては渋カジと呼ばれた日本的解釈なアメカジに夢中だったからです。
今まで信じていたアメリカのリアルは、映画アウトサイダーとか、タクシードライバーやディアハンターなど、目指しているアメリカが、けっこう前だったんですよね。冷静に考えれば当然ですが・・・
そんな乗り遅れた感がトラウマになってなのか、いまだに衝撃なのか、この特集にあったスタンドカラーのブルゾン(らしきもの)を、現在も気に入って着ています。もちろん、オークリーのサングラス(当時もしてたけど)も、今日も普段使いの唯一のサングラスとして常備しています。しかし、これも相当なアウト・オブ・デイトでしょうけどね。
ただ、この二つのスタイルが活かされる時がやってきます。
それは、2000年代に入ってから、(前々職で) それまで裏方だったわたしがビンテージの靴などを中心に買い付けに行くようになった頃です。わたしのアメカジ(ビンテージ)の知識を買ってくれたため、頻繁に連れて行ってくれました。
その買い付けでは、東西の大都市から、小さな田舎町まで、あらゆるところに行きました。わたしは自衛だったり、現地に溶け込みたかったりで、普通の格好を目指しました。基本は、先ほども触れた二つのスタイルです。その結果、その辺で生活している黄色人種って雰囲気は出せてたと感じます。
一緒に行っていた当時の会社社長も(ある意味)普通なファッションでしたから、両名とも、まぁ馴染んでたと思いますよ。でも、「それ、ファッション人としてどうなの?」とは、決して聞かないでくださいね。買い付けもお仕事ですから・・・
こうして、わたしのファッションの源泉が形成されたのでした。
ここまで書いて言うのも難(なん)ですが、わたしの場合、確かにノーマルを目指している姿勢はありますが、ハードコアではありませんね。
やはり、スティーブ・ジョブスのように日々同じ格好をしているワケではありませんし、時々、民族調だったり、ウェスタンだったり、違う格好がしたくなっちゃう謎のブームがやって来るからです。
というワケで、わたしはノームコアならぬノーマルということで、備忘録を締めたいと思います。