備忘録【14】:アパレル業界に入ったばかりの話(その1)
これは前回の続きになります。
こうして、わたしは渋谷のど真ん中にある「船の博物館」という名前のセレクトショップでアルバイトとして働くことになりました。30数年前ですが、アパレルのショップ店員が雑誌でフューチャーされていた頃ですね。そんな憧れのショップ店員になったわけです。
心が躍り、夢が広がりますます。しかし、当然ながら理想と現実は全く違うもので、ここからわたしはアパレル業界の沼を泳ぎ始めるのでした。
アルバイト初日は言われた通り早めの時間に到着していました。スタッフの一人が到着して、鍵を開けて中に入れてくれました。店内で待つように言われ、中でスタッフが来るのを待ちます。
しばらくして、ビシッと決めた社員やベテランのアルバイトなど、職場のスタッフが次々と出勤してきます。いかにも仕立ての良いスーツを着て(あるひとはサングラスをして)出勤してくるですが、まぁ19歳で学生のわたしから見たら、皆さん凄いオーラを発しながら登場するわけです。当然、新人のわたしなんかに話し掛けても来ませんし、もちろん眼中などありません。
まず、店長が話しかけてくれて、教育係の社員さんを紹介されます。最初は外掃除を命じられるのですが、店前からガードをくぐって大通り(明治通り)まで掃除をするのだと教えられて1時間近く掃除をしていたと記憶しています。戻ってきたら誰かから(忘れちゃった)「遅えな!」なんて怒られて、さらに戻ってきたら「ダサいから別の服を買え」って言われて(これも誰だっけ?)オリジナルのシャンブレーシャツを買わされました。本当はストアオリジナルの服なんて買いたくなかったけどね。
コネも何も無い素人のわたしにとって、この状況を打破するのは、なかなかハードルが高かったです。あの頃はショップスタッフが最低限所有する定番のアイテムがあって、その暗黙の洋服やアイテムだったり、着こなしなどで(ルールは各セレクトショップで違いましたけど)、プロとお客さんといった大きな壁がありました。
インターネットもなかった時代ですし、洋服を解説する雑誌もほとんどありません。スタッフ内の流行はクチコミでしか伝わって来ませんからね。だから、街を歩いていれば「このひとは業界の人だ」ってすぐに分かります。
だから、この壁を超えれない新人アルバイトは、ただのコマ遣いというカーストから、しばらく抜けることができませんでした (不本意ながら)。
(話は戻って)初日は「いらっしゃいませ」を言葉にするのも照れくさかったですが、その気持ちはすぐに吹っ飛びました。というのも、このお店は渋谷でも人気のセレクトショップです。店前の信号が変わるたびにぞろぞろお客さんが入って来て、照れてる暇などありません。
最初の主な仕事は、くずれた服をひたすらたたむことでした。毎日毎日「いらっしゃいませ」と声掛けしながら1日に何千もの服をたたみ続けました。また、入社時に人気だったオリジナルのカーディガンやスウェットは、補充しては売れて、補充しては売れてを繰り返し、その都度バックヤードから在庫を運んできました。クリスマス時期は最高潮に忙しくなります。ラッピング依頼のお客さんでごった返し、レジ裏にこもって包装作業に追われ続けます。こうして、多忙な日々があっという間に過ぎていきました。わたしのできる仕事がひとつ、またひとつ、と増えていき、職場にも慣れていきました。
だからといって、アルバイトの丁稚(でっち)的な立場は変わりません。相変わらず、先輩社員とは会話もしてもらえず、下働きな毎日が続きます。こうした鬱憤を晴らすかのように、夜のクラブ活動(踊る方ですよ)には精を出していて、その中で同年代の友達が増えていきました。
次に続く・・・