備忘録【3】:格好で生き方が変わるのか?雑考してみる
生物が生きる目的のひとつは種の存続です。その同じ種の中でも強い遺伝子が残るための生存競争があります。わたしは、オシャレの根本にこうした本能的思考があると感じています。たとえば派手な鳥や昆虫みたいな・・・です。
これにはふたつの主な目的があると思います。それはパートナー探しと、捕食者から避けることです。たとえばオシャレして好きな子を振り向かせようとしたり、やり過ぎると街で絡まれたりするサバイバルな状況ですね。では、オシャレの方向性はどのように決まっていくのでしょう。
ジャンルが形成されるプロセスは、まず、自分が好きだったり、なりたいイメージから身につけるものが集まっていきます。続いて、好きな物を高頻度で身につけることで個性が形成されます。それが意識的だったり無意識だった・・・
すると、他人がわたしを見てジャンル分けをするんです。それがあなたのジャンルです。
それは片手間だし雑な判断です。まさにステレオタイプな判断です。映画やテレビを見て「こういう人、いるいる」ってなりますけど、その程度でしょう。しかし、悲しいかな他人の判断は案外的を得ています。
つまり、性格やライフスタイルがファッションに出てしまっているケースが多いでしょう。ファッションを突き詰めれば、姓名判断ならずファッション判断も可能でしょうね。
「身なりは人を表す」です。
一方で「人は見かけによらぬもの」というのもありますけど・・・これは意外といった例えなので、例外ということですね。こうした意外性は他人の心を打ったりします。この相手の偏見をうまく味方につけてコントロールしている人は運動神経もとい、わたしはこうした人を「ファッション神経が良い」と思っています。この話はまた機会があるときに・・・
では、話は戻って、ファッションと生活パターンに密接な関係があるのならば、逆転の発想で、意識したファッションによって、生活パターンも変わるし、好きな人が集まって来て、苦手な人(捕食者)からは避けれるようになるでしょうか?
その可能性はあると思っています。
では意識的にファッションを選んでいる人たち(おもにアパレル関係の人たち)はどうでしょう?もしかしたら望む自分を掴んでいるのかもしれませんね。
いかがですか?
ファッションを変えれば人生が変わる、映画プリティーウーマンもそんな話でしたね。もちろん、付随する内面の問題も大切だと思いますけど。
これは、わたしなりのライトな哲学(ラテツ)をつらつら綴る備忘録です。今回はファッションで人生が変わるかも・・・ってお話でした。
ではでは、、、