備忘録【6】:認知症の親についての雑記
いま、実家に来てます
今日はファッション抜きな雑記帳です。
今、実家でこの文章を書いています・・・というのも、およそ10日前に認知症の母親が気持ちが悪いと言って飲まず食わずになってしまいました。その結果、脱水症状になって救急車で運ばれます。病院で測った数値は問題が無いとのことで、家に帰されるのですが、依然として飲まず食わずが続いて再び救急車で運ばれました。それでも色々な数値は良いようで、家に戻って来ました。原因は不明で、薬で気持ち悪いのは治ったのですが、寝たきりになって言葉も話さなくなってしまいました(結構おしゃべりだったんだけどね・・・同じ話ばかりだけど)。
頑張った父
東日本大震災以降から、急に認知症が進行しはじめた親父が、2020年年始、コロナ禍の前に他界するまで、まぁ、色々とありました。父が徘徊して母親がパニックになったり、まだ父が元気なときには何度か入院しましたが、拘束具を付けられて、一緒に泊まることもありました。そのときは夜中に点滴外そうとして悪戦苦闘。その後も体調不良になったときは、近所のお医者さんに車椅子を借りるも、ぐにゃぐにゃした父親を数百メートル搬送して、診療してもらいました。
しばらくして、寝たきりになっちゃいましたが、数年も頑張って、何度か危機を乗り越えてから、この世界を堪能して旅立ちました。最後数年間は見た目はミイラみたいに寝ているだけだったけど、親父の頑張りを見させてもらいました。だから、今となっては尊敬しており、寝たきりな姿でも「カッコ良かったよ」って心底感じているのです。
共依存の母
そんな入院するまでの父親を面倒見ていた母親ですが、ガッツリ共依存な精神状態でした。共依存とは世話をすることに自分の存在価値を見出しつつも、違った方向に進んでしまい、本末転倒になってしまう状態です。
そのブレブレの正義感の結果、子供達(姉妹弟)が家族離散するくらい、母の言葉で情報錯乱に陥ってしまいました(もちろん本人は悪気がありません)。結局、その時に母親は家でひとり、誰にも知られずに、すでに認知症になりながら、共依存状態でボロボロになっていたわけですが、そこで、デイサービスの担当の方のファインプレーで、この状態に気づいて、患者としてデイサービスを利用することでV字回復したのでした。いや、回復したというより、認知症が悪化したことで、彼女の不安が軽減されたのかもしれませんけど。
認知症は本人にとって幸せ!?
母親は認知症になることで、不安や共依存から解放されました。また、痛みや不快感も忘れてしまうので、もしかしたら、残された人のことは置いといて、本人にとっては幸せな選択かもしれませんね。だって、本人の意思通り周りが回っていきますからね。迷惑を掛けるとかの概念も超越していますから。
いま、母親は近くでスヤスヤ寝ていますが、再び自分の足で立つことはあるのかな?それも彼女の選択でしょう。あらゆる人生の選択を本人がしているかもね。
今日はそんな備忘録でした。流石に読んでいる人はいないと思いますが、目を通している人がいれば感謝です。ではでは・・・