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備忘録【8】:アパレル業界に入るまでの話(その2)

洋服の世界に進もうとの決心はつきました。

でも、どこか学業をスパッと捨てきれませんでした。わたしは渋谷や原宿をフラフラして、アメカジショップや古着屋のウィンドウに貼ってある求人募集を見てまわるのですが、規模が小さいショップだと、ほぼ最低賃金という現状があって、生活費を稼ぐのすら難しそうです。

そうであれば、洋服の原点となる別業界に入ろうと考えました。理由はアパレル業界に敬意を払っていたから、順を追ってから業界入りしたいと考えたこと、もうひとつ、いきなりアパレル業界に入るほどファッションに自信が持てなかったことです。わたしの中で、男性の洋服といえば、軍モノか、民族衣装、あと、アウトドアだと思っていました。そこで、神保町にあるアウトドアショップに応募して、働くことになりました。

 

メンズファッションの源流のひとつ、アウトドアウェアに触れられる・・・と期待していたわけですが、実際はそうなりませんでした。それは、男性スタッフが洋服部門に配属されることは無いとのことで、代わりに寝袋などの本格的なギアコーナーに配属されました。同時はバブルの真っ只中です。自然より街を目指す人が多い世の中でここを訪れるお客さんはかなりの確率で山男でしょう。そんな彼らに対して、都会至上主義だったわたしは、ダークダックスの歌が好きなんだろうとか、山ではチロル帽にニッカポッカな格好をして、山頂ではオカリナを吹いているのだろうと、(彼らに対し)リスペクトを持つことが出来ずにいました。それなのに、シュラフ(寝袋)やロープの相談などを受けて、専門的なところに何も答えられない自分にやるせなさを感じていました。

同時に、空っぽな自分が露呈してしまうのを恐れていたのでしょう。

その結果「洋服(アウトドアウェア)じゃなければ意味ないじゃん、やってられっか!」とこの職場から逃げ出す理由を探しました。

 

こうしてわたしは1ヶ月ほどでこのアルバイトを辞めました。辞めるとき、先輩に「こんなんじゃ社会人として、やっていけないよ」と言われました。それは当然のことですね。

 

アルバイトを辞めたことで、もっと素直な方向性を選択すべきだと実感しました。そこで、わたしは渋谷にあるセレクトショップの門をたたきます。

運良くその会社の面接を受けれることになりました。場所は千駄木です。そのとき、わたしの中で、ひとつの決め事をしました。それは「洋服に見合う中身ある人間になること」です。

これは、その当時、読み漁っていた落合信彦の小説が影響しています。これらの小説や随筆では、中身も無い若者がブルックスブラザースの服など着るな!みたいな表現が出てきます(くわしい表現は忘れちゃいましたが)。とにかく、ブルックスブラザースを例に挙げ、中身を磨け!と書いてあるワケです。それを受けて、わたしが行った自分磨きは、新潮社の海外文庫を読み漁ったり、昔の映画(レンタルビデオとかで)を観まくることでした。まぁ、今となっては、この方法が正解とは思えませんけど・・・

 こうして、面接で渡されたアンケート用紙の趣味の欄に、丁寧に、そして、念を込て、自分磨きの意志を書き留めるのでした。

 

その甲斐あって、わたしはセレクトショップで働くことが出来ました。こうして、アパレル業界の一員となったのです。

 

しかし、いざ働いてみると理想と現実は違いました。こうして、アパレル業界のプロの洗礼を浴びることになります。

 振り返りながらこの文章を書いているのですけど、当時の自分の発想や行動がアホ過ぎて、書いてて恥ずかしいですね!

これは、思い出の雑記帳として書き綴っていこうと思っています。

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